JAL123便 御巣鷹の尾根 [JAL上級会員への・・・・・]
1985年8月12日・・・
実は、私も海外からの帰国した日だった。
当時、ボーイスカウトの活動を行っており、日本代表としてアメリカのバージニア州のアメリカ演習場で行われたNational Scout Jamboree (アメリカはなんでもNationalが好きらしい)に参加して、アメリカをほぼ横断して、帰国した時に重なる。
滞在中アメリカでは2機の墜落事故が起こり、自身もバージニア州からニューヨーク(多分JFケネディー空港)に行くとき(apple航空:現在は買収済)に乗ったが、バージニアで4時間待たされた後、ニューヨークに飛び立ったが、途中天候があれ、飛行機は上下左右に揺れるは、雷は横を通過しゆくは・・・・ JFケネディー空港に着陸時には機内のアメリカ人は歓喜にわいていた。
よっぽど危機迫っていたが、ヒヤリングが得意でない私にとっては(周りは危機的状況下とうのも加わる)、まさに知らぬが仏状態だった。
アメリカ往復に使用した航空会社はユナイテッド、往路シアトル経由でシカゴで乗換をした。
復路は、ニューヨーク、ユタ州、ロサンゼルス、ワシントン州を、経由(旅して)して約4週間弱を巡って帰国。
私の田舎は飯田、そう、新宿から中央高速道を走る高速バスで帰宅している最中の出来事でした。バス内流れるラジオからも、日航機が行方不明になったことが知らされた。
流れていた。そう、今を思えば・・・・・・そんなのは、すでに墜落した時、時間をさかのぼると・・・・ちょうど富士山横を迷走していたころ、つまり日航機が中央高速を横断したときには下にいたことになる。
今を思えば、結果的には御巣鷹の尾根に墜落したのだが・・・コントロールが不能の状況では奥多摩や山梨の山に墜落してもまったくおかしく内状況でした。
そんな、私は、アメリカでの2度墜落事故報道、自身の墜落しそうな状況で、日本でも起こるんだな~とそのときは気楽に考えていた。しかし、報道される内容を見て行くうちに悲惨な事故だと気がつくようになった。
あのとき助かった4名は、さぞ人生が変わってしまったことと思います。
もちろん坂本様をはじめとするご遺族の方の人生も激変したでしょう。お悔やみの言葉もありません。生存の4名はインターネッドで検索できることが、またなんともえげつないのですが・・・。
つづく・・・
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